溶けた血税1500億円/革新機構に騙された「いちごアセット」/スコット・キャロンの失意

11期連続赤字のJDIに意味はあったのか? 経緯を丁寧に辿るほど理解ができなくなる。

2025年7月号 BUSINESS

  • はてなブックマークに追加

「革新機構にだまされた」いちごアセットのキャロン氏[同社提供]

Photo:Jiji

2026年春に国内工場を石川県の石川工場1カ所に集約すると決めた液晶パネルのジャパンディスプレイ(JDI)。その10年あまりの歴史を辿ると、NHKの朝ドラで改めて注目を集める「アンパンマン」の歌詞が頭の中をグルグルと巡る。

なんのために 生まれて

なにをして 生きるのか

溶けた血税1500億円

JDIは日立製作所とソニー、東芝の3社の液晶パネル事業が統合して12年に発足したが、パナソニックや三洋電機、セイコーエプソンの技術陣も合流している。シャープを除き、日本の中小型パネル事業が1社に集約され、社名通りの日の丸ディスプレー企業として経済産業省主導のもとで設立された。

同社は国内に6カ所の液晶パネル工場を持っていた。米アップルのiPhone向け供給が最盛期だった16年3月期は1兆円近い売上高を誇った。それがアップルに切られ、中国スマートフォンメーカーに切られ、売上高は25年3月期に1880億円にまで縮小した。

事業縮小に伴って工場削減を進めた。約2千億円を投じた白山工場(石川県)はシャープに、東芝から引き継いだ能美工場(石川県)は凸版印刷(現TOPPANホールディングス)に売却。ソニー由来の東浦工場(愛知県)は一部をソニーに引き取ってもらった。三洋電機の鳥取工場(鳥取県)は買い手が見つからずに閉鎖を決めた。

残った2工場のうち、旗艦拠点の茂原工場(千葉県)を停止し、データセンター事業者などへの売却を模索する。生産拠点とともに人員も過剰なため、5月には国内従業員の約1500人削減を発表した。現在2600人の半数超に退職を迫る。

業績は惨憺たるものだ。25年3月期は782億円の最終赤字(前期は443億円の赤字)を計上した。最終赤字は実に11期連続で累計7千億円を超える。これまで6人の歴代経営トップは早期黒字化を表明したものの、誰一人として約束を果たさぬまま、任期途中での退任を繰り返してきた。

そんなゾンビ企業を生み出したのは経産省だ。同省が09年に組成した官製ファンド、産業革新機構(後にINCJに改称、25年3月に活動終了)が「再編による産業競争力強化」の目玉案件として液晶パネル産業の再編を推進した。

革新機構はJDI設立時に2千億円を拠出、その後の救済的な出資も含めて投融資額は4620億円にのぼった。上場時の株式売却などで3073億円を回収したものの、結果的に1547億円を失った。もちろん原資は税金だ。

以降、このA級戦犯が何をやったのか、時系列に見ていく。

液晶事業を差し出した形の日立や東芝、ソニーにとっては渡りに船の申し出だっただろう。統合交渉が浮上した10年の段階で液晶パネルは韓国や台湾企業が台頭し、各社ともパネル事業の巨額赤字が頭痛のタネだった。敗戦濃厚のタイミングで、官製ファンドから「引き取りたい」という声がかかった。

3社は液晶部門のエース級人材を別部門に異動させた上で事業を切り離した。いわば出がらしがJDIの基礎になった。一方、経産省も経産省で、JDIのトップに液晶パネル産業の門外漢ばかりを並べた。初代の大塚周一氏は半導体メモリー、2代目の本間充氏は電池、次の東入来信博氏は検査装置の専門家。こんな建て付けの企業体が成功するわけがない。

例えば15年の本間氏会長就任経緯はこうだ。当時、ソニー、NEC、日産自動車の電池事業が一つになり、革新機構が出資するいわば「日の丸バッテリー」が誕生、本間氏はその新会社のトップに就く予定だった。ところがソニーが「電池事業は自前で手掛ける」と離脱、構想は白紙となった。「経産省や革新機構は行き場を失った本間さんにJDIトップの座を与えた」と関係者は振り返る。

00年代後半には投資余力が勝敗を分ける競争構造だった。

事業の損切りに不慣れな日本企業はここでも過ちを犯す。例えば日本IBMは01年に台湾の奇美電子(現イノラックス)に液晶事業を売却、液晶の将来性に見切りをつけた。革新機構はIBMの撤退から10年後にJDI設立を決めたことになる。

さて最大顧客だったアップルが発注を減らし始めた10年代後半、何もできない革新機構に業を煮やした経産省はJDIへの直接関与を強めた。御用達コンサルの経営共創基盤(IGPI)に経営トップの人選を任せた。それでもJDIの出鱈目な経営は変わらなかった。

極め付きは19年に明らかになった長年の不正経理だ。実行役とされた経理担当者は自殺、歴代の経営トップの関与は問われぬまま。当時CEOの菊岡稔氏は「自分がJDIに来る前のこと」と逃げ続け、真相究明は「容疑者死亡」のまま有耶無耶になった。

その間も本業の競争力低下は続いた。JDIは菊岡氏のもとで複数の中国企業との提携を探ったものの実現しなかった。

税金を使ったJDI救済への批判に耐えきれなくなった経産省と革新機構は再建を断念し、新たな支援者を募った。そこに現れたのが、不動産中心の投資ファンド、いちごアセットマネジメント。経営トップで米国籍のスコット・キャロン氏が1千億円を超える支援を表明し、21年にJDIのCEOに就任した。

実質的な丸投げだった。キャロン氏は当初「日本への恩返し」と話したものの、ディスプレー産業の知見はない。いちご側の関係者の間では「キャロン氏は革新機構にだまされた」との見方で一致する。

大方の予想どおりキャロン氏は為す術なく、6月1日に4年半務めたCEOを退任した。歴代トップと同様、経営再建は果たされぬまま。後任として無名の明間純氏が内部昇格しCEO職を引き継いだ。

株価は上場時の98%安

JDIはキャロン氏の退任とともに、車載パネル事業を切り出して外部企業の出資受け入れを検討すると発表した。本体ではセンサー部品や半導体の組立工程といった新規事業の創出を目指す。さらに米国と台湾での有機ELパネルの量産計画も打ち出している。

会社側の計画に株式市場は懐疑的だ。有機ELパネルの量産実績のないJDIが外部資金で量産工場をつくるのは「あまりに荒唐無稽」(電機アナリスト)。同社はこれまでも無謀な計画を掲げては撤回を繰り返した。そこに総括はなく反省もない。

もはや誰もJDIを信じてはいない。上場時の98%安という足元の株価が、その事実を雄弁に物語っている。

  • はてなブックマークに追加