2025年6月号
POLITICS
[「令和の風雲」]
by
藤田文武
(「日本維新の会」前幹事長、衆議院議員)
衆議院予算委員会で石破総理と向き合う
2050年には日本の人口の10%、70年には16%が外国人になる──。これは決して遠い未来や空想の話ではない。ここ数年の在留外国人増加数は年間で30万人を超えており、このペースが続けば、人口構成は想定を上回るスピードで変化していく。ところが政府はこの現実に対し、十分な国民的議論も戦略的な構想もないまま、事実上の移民国家に向かって突き進んでいる。私が国会で何度問い質しても、短期的かつ表層的な説明ばかりが返ってくる。現実には、技能実習制度の転換や特定技能の拡充は、定住を見据えた実質的な移民政策でありながら、政府は「移民政策ではない」と強弁している。
そして今、人口減少の現実は一層深刻さを増している。2024年時点の日本の総人口は1億2380万人。前年比の減少幅は過去最大の89万人に達し、14年連続の人口減少である。出生数は72万人余りと過去最少を更新し、少子化の進行は政府の想定より15年も早まった。つまり日本社会は、これまでの前提や計画が通用しない「人口構成の臨界点」に直面しているということだ。しかもこの現象は、単なる人口の数字だけでなく、地域社会の維持や国家の制度基盤にも直接的な影響を与える。すでに多くの地方では、学校の統廃合や医療インフラの縮小が進み、自治の根幹が揺らぎ始めている。さらに問題なのは、少子化に歯止めがかからない一方で、外国人の増加に歯止めをかける制度や国民的合意が存在しない点である。本来、国家の人口構成は、経済・社会のあり方を設計する根本の土台であるべきだが、現状では極めて受動的な流れに委ねられている。言い換えれば、日本は「人口の未来」を主体的にデザインすることを放棄しているようにも見える。
出生率回復策や家庭支援政策が小出しに検討される一方、外国人政策は経済ニーズに応じた場当たり的な拡張が進む。このアンバランスさは、将来的に大きな制度不全や社会的混乱を引き起こすリスクをはらんでいる。
人口問題は、単に出生率や労働力の話にとどまらない。経済、財政、社会保障、教育、防災、地方自治、治安、外交、安全保障──あらゆる政策分野の根幹に関わる土台であり、全ての政策課題の起点である。確かに経済界にとって、外国人労働者の活用は短期的に合理的な手段かもしれない。しかしその「部分最適」が、日本という国家の「全体最適」とは限らない。適切な移民政策が制度として定着する前に、急激な人口構成の変化が進めば、社会制度や地域社会のキャパシティが持たない事態に陥りかねない。
現時点での日本全体の外国人比率は約3%にとどまる。しかし実際には特定の地域に偏在し、集住化が進んでいる。例えば川口市では、トルコ籍クルド人の人口が急増し、すでに外国人比率は7%を超えて、更に増え続けている。日本語教育や医療制度、生活インフラや治安といった分野での制度疲労が進行し、地域住民の不安が顕在化している。これは決して「外国人が悪い」ということではない。制度の準備も合意形成も不十分なまま、急激な社会変化が進行していること自体が問題なのだ。行政、教育現場、住民社会──どの層も、異なる文化的背景を持つ住民の急増に戸惑い、時に摩擦を生んでいるのが現状だ。
多文化共生を語るならば、それは口先の理念だけではなく、制度と現実の両面で備えが必要である。言語の壁に対する支援、生活習慣の違いに対応した地域づくり、就学・就労・医療制度へのアクセシビリティの確保。そうした「統合政策」が十分に整ってこそ、多様性を真に強みに転じる社会が可能になる。しかし日本では、その構想と実行の両方が明らかに不足している。私自身、就職氷河期に社会に出て、様々な制度的な不平等と向き合ってきた世代だ。今は子育て世代として、将来この国を背負っていく子どもたちの未来をどう守るか、真剣に向き合う立場にいる。だからこそ、現世代の政治がこの人口構成の変化に責任を持たず、後の世代に負担や混乱を先送りすることは、到底許されないと強く感じている。
日本人にも、外国人にも、人には日々の営みがある。恋愛や結婚もすれば、子供も生まれるし、生きがいを求める。人は「ただの労働力」でも「制度の歯車」でもない。都合よく来てもらい、都合よく帰ってもらう──そんな都合のいい扱いはできないし、すべきではない。だからこそ、人口構成の変化については、目先のニーズに応じた短期的な施策ではなく、世代を超えた中長期の国家ビジョンを持って、正面から議論しなければならないのである。
実際に、ドイツでは1973年のオイルショック以降、外国人労働者の新規受け入れを停止し、帰国支援金の支給まで行ったものの、多くの労働者は帰国せず、むしろ家族を呼び寄せて定住が進んだ。政府の想定を超えて「一時的労働力」が「定住移民」へと変化したこの現実は、制度が個人の営みを制御しきれないことを示す象徴的な事例である。日本も同様に、人の人生を左右する制度設計を、安易な需給調整の論理だけで進めるべきではない。
欧州諸国の苦悩は更に先を行っている。ドイツやフランスなど、移民を積極的に受け入れてきた国々が近年軒並み方針転換を図っている背景には、「統合政策の失敗」がある。文化的摩擦、政治的分断、治安不安、福祉制度の圧迫──そのどれもが社会の分断と亀裂を生み、政治の安定性までもが揺らいでいる。しかも、欧州はまだ多文化共生の歴史的経験と制度的蓄積がある国々である。それに比べれば、日本は制度的にも意識的にも多文化共生や統合政策に対する土台が未成熟だ。私は、国会で再三にわたり、政府に対して「人口戦略の司令塔機能」の設置と、外国人を含めた人口動態の精緻な中長期予測を求めてきた。
石破総理も一定の理解を示したものの、具体的な体制整備はスタート地点にも立てていない。今の日本は、国家ビジョンも司令塔もないまま、社会変動の荒波に漂流し続けているような状態である。今こそ必要なのは、人口減少を前提としつつも、持続可能な国家モデルを構築する戦略的発想だ。例えば、統治機構の再編による地方の再生、AIやロボティクスの活用、規制改革による労働参加の最大化、そして教育改革と人材投資を徹底すること。経済成長=人口増加という旧来型モデルから脱却し、「人口が減っても成長できる国」へと転換しなければならない。
もちろん、その道は容易ではない。保守的な制度慣行、既得権による利害の交錯、短期的な政治的利得を求める誘惑など、数多くのハードルがある。しかし、それでもなお挑まなければならないのが政治の使命であり、私はその覚悟を持ってこのテーマに取り組み続けている。リスクを恐れず、古いシステムを疑い、未来志向で制度を作り変えていく。国民の不安に寄り添いながら、将来の国家像を冷静かつ情熱的に描き、覚悟を持って、私はこの人口問題と向き合っていきたい。外国人比率の上昇という表層の変化の奥に、日本の国家としてのあり方が問われている。今こそ、短絡的な対応から脱し、統合的かつ長期的な戦略へと舵を切るべきである。議論の先送りは、もう許されない。